ボードゲームについてとその考察

最近ボードゲームにハマってます。
まあおおよその人が知っているところですね。

で最近いろんな人に来てもらってプレイしていただく中で気になることがいくつか。
いろんなプレイヤーの方々のブログですでに言われていることでしたが、実感をもって体験したのでその辺について考察していきたいと思ったのが本記事です。
ですので、「これ既出だから」とかいうのはどうでもいいです。もはやメモです。

まずはきっかけはモノポリーあたりですかね。
高三あたりに初めてやったわけなんですよ。

割とサイコロに左右されるんですけど、「は、運ゲやんキレそう」的なことをあんまり言った記憶がないんですよね。
それは、一か八か的なところでまだ勝ち筋が残されている状況があればワンチャンあるって精神だったと思います。

まあそれはちょっとおいといて、主に真剣に集めだしたりしたのは去年の冬くらいだと思います。
その前の秋にボードゲームデザイナーの人としゃべる機会があったんですよ(ほんとにたまたまですが)
その人のブログやらなんやらでちょっと興味を持ち幾つか買い出したら沼にハマった的な感じです。

で、自分はおおよそのゲームについて、何かしらどう考えるかとゲームシステムについて考えるのが結構好きなんですよね。
友人達とプレイしていく中で、彼らの何人かがよくいう「クソゲー」、「運ゲー」という表現に何度か出くわしたわけですよ。


で、本題です。このクソゲーやら運ゲーやらとはなんなんでしょうか。
以下は
クソゲーとは
運ゲーとは

の二編でお送りします。


クソゲーとは
個人的な結論を下すと、多くの人の意味するクソゲーは「俺には合わない」です。万人全てが思うクソゲーとはおそらく違ってます。
真の意味でクソゲーを定義するならば、

プレイしていて全く楽しくない

ということになると思います。すると、プレイして苦痛になるようなゲームということになります。
プレイしていて苦痛になるのは、システム観点から考えると大体以下になると思います。

①プレイアビリティが悪すぎる
②プレイヤーの満足度が高くならない
③考える余地がない


この辺がだいたい当たると思います。

①プレイアビリティについて
インタフェースの話にもつながりますが、手順が簡易というのは非常に重要です。
人間の認知能力には限りがありますし、同じ作業などでも、よりわかりやすくできる方が助かりますよね。

例えばワーカープレイスメントのシステムを取り上げてみましょう。アグリコラストーンエイジのようなゲームです。
このシステムはいくつかのアクションスペースがボード上に用意されています。ここに労働者を派遣すると、そこでのアクションが実行され他のプレイヤーはそのアクションができなくなるというようなシステムです。つまり早い者勝ちです。

もしこれがボードがなく、すべてのアクションのカードを持たされて、「他のプレイヤーが使ったアクションは使えない」とか書かれると、どうでしょうか。
まあ手札から捨てることで、まだ見やすくなるかもしれません。しかし、捨てるにしても捨て札置きが必要ですし、必要なカード数も莫大に増えます。
これをボード上だけですっきりとまとめあげたわけです。

人間の認知ソースは限りがあるので、思考に集中させるのであれば、こういったシステム周りを簡易にすることは非常に重要です。

したがって、ここが面倒なゲームは「覚える手順が多いし見にくいしもういいや」ってなりかねません。

リソースを絞ってやるというのも非常に重要です。ドミニオンというゲームは(ポーションが出るまでは)すべてお金で何かを買うというインタフェースで統一しています。お金を集めて何かを買うというのは現実世界でも非常に常識ですから特別何かをゲームのために覚える必要がありません。
もしこれが、よくわからない王国の資材で何かと交換とかになると、イメージがつきにくく理解に時間がかかります。


②プレイヤーの満足度について
ボードゲームでよくあるのが、コンポーネントですね。中身です。
例えば、カヴェルナというゲームがあります。動物の駒がいっぱいついてきます。そしてかわいいです。
これを見るだけで満足度が高くなります。
また、ゲームが終わると、自分の箱庭が出来上がっていくので、終わった後に「自分の行った結果がこうなったんだなあ」という自分のコミットに対する
結果が盤面に現れます。

これが逆だとどうでしょう。終わったらすっきりしていくゲーム。これはこれでいいかもしれませんが、出来上がっていく方に比べるとちょっとがっかり感あるかもしれません。
自分が何か行うことでパラメータが上がっていくようなゲームもあると思います。個人的にはアリかもしれないですが、ボードゲームじゃなくてPCでよくない?ってなります。

この辺をどうデザインしてやるかでプレイヤーの次に対するモチベーションも変わってくると思います。


③考える余地がない
例えば、自分のターンにやることが、「一番大きな数字のカードを出す」だったらどうでしょう。
自分は必要な存在でしょうか。もう勝手にやってくれってなりますよね。

ボードゲーム中で一番重要だと思うことは「自分の考えた結果が勝敗につながる」ということだと思うので、自分が何も関与せず勝利してもそこに感動はないわけです。
ここの考えるところをどうデザインしてやるかが重要です。




というわけでだいたいこれらのどれかが破綻しているゲームはクソゲーというものになりやすいと思います。
しかし、基本的にはほとんどの万人が「クソゲー」って評価したらそれはクソゲーだと思いますし、
クソゲーって言う人もいれば、面白いっていう人もいるならばそれは「ノットフォーミー」なんだと思います。


で、次は運ゲーです。
運とはなんでしょうか。

個人的には運とは「自分が全く関与せずに決まる乱数的要素」と定義したいと思います。
すると、例えば最初に手札を5枚配るというようなものは運になります。

よく言われる運ゲーカタンがあります。(私はそこまで思ってない
それは出目がサイコロに依存するからですね。まあ、わかります。

でもドミニオン運ゲーなんですよね。デッキから5枚引く時点で運です。
そして購入したものをデッキに加えてシャッフルしてまた5枚引く。ドローした時に何を引いてくるのかも山札から確認していないかすべてを引き切ることが確定していない限り運です。

でもドミニオン運ゲーじゃないと聞くんですよね。

他にもサンファンというゲームがあります。私の大好きなプエルトリコというゲームのカード版なんですが、カードのドローがとても運に左右されるため、
運ゲーと呼ばれることが結構あります。


で、実際によくやり込んでる人たちを見ると勝率って安定してくるっぽいんですよね。特にサンファンなんかは運が極めて少ないプエルトリコより初級者と上級者の違いの差が出やすいと聞きます。


この辺の差は何か。それはこの乱数の扱い方が容易かどうかに尽きると思っています。
カタンの場合は資材の出目の偏りが出た場合に、どう扱うかを考えるにはかなり慣れが入ります。
初期配置をどう選ぶかで半分ゲームが決まるようなゲームなので、どの目がいっぱい出てもどうにかなるか的なことを一番最初に考え尽くす必要があります。
逆に言うとそこまでできた場合は、別に資材の目が悪かろうが、自分が確実に需要の非常に多い目を抑えて資材の価値を上げ、交渉を有利に運び勝つことができます。

ここに気づくのに時間がかかるという意味で、ちょっとしたプレイヤーからは「運ゲだから好きじゃない。もっと運がないのがいい」という意見が出るわけですね。

ドミニオンの場合はそこのコントロールに気づくまでの時間が短いです。つまり、デッキという乱数を含んだシステムをどう扱うかの熟達が早いんですね。
したがって、ドミニオンは実力ゲーだよという意見が出てくることになります。


他にもゴキぶりポーカーとかいうゲームがあります。他のプレイヤーに「これはゴキブリです」とか言ってカードを送り込み、それが正解だと思ったら「ゴキブリです」違うと思ったら「ゴキブリじゃないです」というふうに回答し、ミスっていくたびにカードが自分の前に並び、正解するたびに相手プレイヤーの前にカードが並ぶゲームです。で、一番最初に全種コンプか1種4枚集めた人が負け。

これは実はゲーム上の乱数は最初の手札だけです。それ以降は他のプレイヤーの動向を見ながら、カードを送り込んだりなどを行います。
これ、確かに運ゲーとも思われるかもしれないんですが、ほぼ運ないです。
行動にはほとんどすべて意図を込めていると思います。とすれば、相手の意図を読み取るってところがゲームの肝で、そこが読み取れず、ただ択ゲーを当てると解釈するとこのゲームは途端に運ゲーとなります。


つまり真の意味で運ゲーっていうのは、システム上の運が大きすぎてプレイヤーがどう思考しようが負けるときは負けるし勝つときは勝つっていうゲームです。
例えばneuというパーティーゲームがあります。もう詳細は省きますが、101を超えると負けなゲームで、いきなり101を出されて負けるといったことが挙げられます。

この辺の調整をしていないと、考える思考もなく負けます。
この辺はゲームをどういう位置付けで出すかが重要で、短時間ゲームという枠で出すと問題なく機能する可能性が高まります。
この運ゲーを逆に楽しむような環境でゲームがなされた場合は特に問題はないということです。

例えばウノとかはゲームの流れによっては、ドロー2や4が全く来ず嵌められてそのまま上がられるという経験があると思います。
あれも問題ないんですよね。なぜか。
それはそういう環境だからです。逆にそういう環境でなければ機能しないゲームです。
本気で勝とうとした際に、ドロー運で負ける。そういったゲームなんですから至極当然ですよね。


ここまでの流れでわかると思いますが、

運ゲーが許容されるのは、戦略などそこまでなく短時間で終わるようなゲームで、
戦略構築のある長時間ゲームだけど、運という乱数の扱い方が難しいゲームは運ゲーといってdisられるようになるわけです。



何が言いたいかというと、「運ゲー」というdisはやめようということです。
私も最近ちょっと言わないようにしようとしていますが、運ゲーと呼んでdisってしまう場合、大半が自分は「乱数の扱い方をすぐに見抜けないプレイヤー」です。って主張してしまうことにつながるからですね。

ボードゲームの評価をするときはこの辺について考慮してからしたいという戒めとともに忠告の記事としたいですね。

でおそらく多くの人から「んなことねーわふざけんなボケがおめーが雑魚いだけじゃ」とか怒られると思うんですが、別に不特定多数のdisではなく戒めの意味での記事ですので炎上は勘弁してください。