活道理と死道理

授業でやってた内容がなかなか興味深かったので記事にしてみる。

活道理と死道理ってお話。

教授曰く、「死道理で生きてる奴に価値はあるのか?」

死道理とは、自分の人生の意味を問うことをしないこと…なのかな?


例えば、

何も考えずだらだら仕事してお金稼いで人生を過ごす
→お金のために仕事

いろんなケースが当てはまると思う。研究員からテニュアをゲットした人や公務員とかもそうなのかもしれない。

これは「我々はなぜ生きてるのか?」という自分の人生の課題的なものがないということを意味する。

例 ○○を開発して世界に貢献したい等

こうしたことを問わず自らの前進をあきらめたものに価値はあるのか?と教授は問いたかったわけです。


なかなかグサっとくる発言ですね。将来の先が見えない大学生には痛恨のダメージが入りそうな。

将来の課題を見つけられる機会に恵まれた人生を歩んでいる人は、それだけで間違いなくいわゆる勝ち組だろう。なぜならそこに迷いがないから。

こうした迷いのない学生の数は総じて少ない。経験に乏しい学生が人生という大きな壁にひとつの解答を示すには荷が重すぎる。こうしたことを考えると初等教育の議論にすり替えられるかもしれないがそれは置いとく。

ようは、使命見つけましょ、って話ですよ。

この話を聞いて「自己」を考えるいい機会を得たなって思った。

教授的には

「死道理で生きてる奴とかいるか???いらねーだろwwwwwwwwwwwwww」

ということを学生にしっかり教えるために教授になったのかもしれませんね。

この記事読んだ人も一度考える価値はある話だと思いました。



自分のケース

昔から思ってたのは、「息子(娘)をすばらしい人格者にすること」
これ満たすには自分がまず人格者にならなきゃならん
→人格者ってどうなるの?
→…………
←イマココ!

とりあえず工学部に入ったことによりエンジニアになることはおおよそ予想される(し、割となりたい)ので、それとは別の分野の知識も追加し、自分で物事を考えられる人間になりたいっすね。はい