僕は愛を証明しようと思う


ネットでかの有名な「恋愛工学」の第一人者、藤沢数希氏の本です。
恋愛工学といえば、女を落とすためのメソドロジーを心理学と進化生物学の知見による裏付けで体系化した学問と主張されていますね。

この辺のところが正直ピンと来てないというか、「女の人を馬鹿にしてる」感じがしてあまりいい感じはしなかったのですが、全く知らないものを
かじった知識でdisるのは僕の嫌いな奴なので、とりあえず読んでみました。

この作品、弁理士非モテ主人公渡辺君が、好きになった女の子に一途になりすぎて最後は捨てられる悲しい展開である「非モテコミットメント」を繰り返していた際に、
取引先として出会った永沢さんという投資家の方に出会うことからストーリーは展開されます。

渡辺君がたまたま友人とクラブに出かけた時に、永沢さんが超絶美女とキスし出すところを目撃。
渡辺君はなんとかして永沢さんと連絡を取ります。そこで、永沢さんに、「貴様…力がほしいか?」ならぬ「お前…モテたいのか?」というセリフに
全力でイエスしていく渡辺君。そこで教わるのが、モテテクをメソドロジーとして体系化した恋愛工学の手法を学びます。

最初に習うのは、声をかけるときの手法である、オープナー。
これは会話を広げるための方法論の一つで、例えば、道を探している時に「すみません、○○に行きたいんですが」といって、話しかけて会話を展開する。
もしくは写真を取ろうとしている女の子らに「写真撮りましょうか?」と言って会話を始めるオープナー

様々な方法論を展開しながら、女を落としていく渡辺君。
しかし、二度ほど失敗する事態が発生する。

一つは、「女は俺のため」という思い上がりのために釣れなくなってくる事態
もう一つは、捕まえていた女にやられ、会社を辞めさせられてしまった事態

この二つの事態で方法論が通用しなくなった背後には

・この恋愛工学は女を悦ばすためにある
・自分に自信がなければ女はやってこない

というものがある。結局のところは、自分に自信があり女を悦ばせられるという自負がなければうまくいかないようである。
物語最後には、愛とは何かに目覚めた渡辺君が新たな道を模索するところで物語は終わる。

以下、感想。ネタばれまくります。


物語の根幹にあるのは、恋愛工学の今までとこれからを示唆しているのかという風に捉えられた。
今までというのは、これまでに発達させてきたモテのためのメソドロジーとその背景にある理論の紹介だが、
物語終盤の展開は、今後の恋愛工学のアプローチはどこかということを示唆させる内容になっていた気がする。

終盤は特にタイトルにも関連する「僕は愛を証明しようと思う」に挙げられる真実の愛を模索するための方法論を展開したいという筆者の意志のように感じられる、
この作品、非常に賛否両論を生む要素としては、物語最初にある「この街は俺らの無料のソープランド」とかの表現のような女性を馬鹿にした言葉が挙げられる。

しかし、内容の手法に挙げられるメソドロジーは、恋愛だけでなく日常にも使えるコミュニケーションの方法論として十分機能するものであり、
これらは特に批判すべき点ではないだろう。
むしろもったいないと思うのは、これをキャッチーな名前である「恋愛工学」と呼んでしまった点だと思う。

工学というのは、社会のためになる学問ということであり、この恋愛工学が「どう社会に役立ってるかがよくわからない」点にあると思う。
というのは、モテてセックスできて「そこで終わりなの?」という点である。
例えばこの方法論が、浸透するとして、その世の中は多くの男性が多くの女性と関係を持ち、結婚はしない世の中ということになる。

それはどう社会に役立つのだろうか。

まあ飲食店はもうかるかもしれない。コンドームを多く売れるようになるだろう。
カフェも人が増えるかもしれない。ラブホも売り上げが上がるかもしれない。

それでよいのだろうか。

正直掘り下げるべきところはその後で、恋愛した後何があると言うと、やはり結婚じゃないだろうか。

恋愛と結婚は大幅に違う問題が非常に大量にある。
現在の世の中でも少子高齢化が問題となっているし、恋愛が減っているのも挙げられるが、
恋愛した後に結婚に踏み切れない例も多いように思われる。

すると、今後目指すべきなのは、出会いから出産までの方法論ということにならないだろうか。

そしてそこが筆者が今後アプローチしたいというところにも思えた。
愛を証明したいというのはまさにそういうことだと思う。


筆者は物理学のPh.Dを取られているということなので、研究者が工学を名乗るならば、
もう少しそこまで踏み切ってほしいように感じた。

物語の書き方や筆者の対談などのせいかわからないが、
意味もなく毛嫌いするような内容ではないと思うので、コミュニケーションの勉強としてはよいのではないかと思う。

が、嫌いな人は嫌いだろうから、万人にお勧めできる内容でもないし、
信者になるのも危険な気がするので、ほどほどの距離間で読むべきかなと思った。


(追記)
はあちゅうさんと藤沢氏の対談が上がってました。

藤沢数希/はあちゅう(伊藤春香) 第3回 結婚は愛情とは関係ない金銭取引の契約である<『ぼくは愛を証明しようと思う』発売記念対談 「恋愛ってなんだろう?」> - 幻冬舎plus http://www.gentosha.jp/articles/-/3894

これですね。このシリーズ読んでたんですが、どうも勘違いしてたようです。
藤沢氏相当ドライな考え方のようで、どうも結婚を意識したアプローチとは見てないように思える。

というのも、結婚を「法律上いろんな条件に応じて金銭の支払い義務が生じるだけのお金の契約であって、あとは何も変わらない」と表現してるんですよね。
つまり、法律上の契約です。愛でも何でもないわけです。
とすると、本文で述べた目指すべきアプローチとは完全に目指すところが違うわけですね。
なぜなら、結婚には「愛」がなく、お金の契約でしかないから。

「結婚自体に浮気の抑止力なんてないですよ。日本の浮気の慰謝料はせいぜい100万円ぐらいと相場が決まっていて、お金持ちにとっては大したことない」
「何故結婚するのかと言われると、若気の至り。子供ができたって言われて、「子供ができたら結婚するものか」と思って、軽い気持ちで結婚するんじゃないか」
と述べてます。
つまり、子供出来ちゃったら仕方なく結婚すると言うだけで、そこにやはり愛はない。

「別に結婚しなくても子供は作れるし、家族にもなれるんだから、あえて結婚制度を使う必要はないんですよね。結婚って、事業をするときに、個人事業主でやるのか株式会社にするのかみたいな、家族を作るときに利用できる便利なツールのひとつなんですよ。僕は、いまの結婚制度は、破綻処理の仕方に問題があると思っているんです。ダルビッシュの元妻が、生活費を月に1000万円請求していた、というのが昔、話題になりましたが、法的には、ダルビッシュの年収を考えたら、それでも慎ましいぐらいなんですよ。でも、常識で考えて、生活費が月に1000万円って、おかしいじゃないですか。」

「揉めてないときはいいけど、お金が懸かっていると、揉めたら法廷闘争になる。だったら、最初から結婚せずに、事実婚でいいじゃないですか。別に、結婚しなくても、家族は持てるし、当たり前だけど、子供に対する扶養義務なんかはいっしょなわけですからね。事実婚では、破綻処理のやり方がちょっと違うだけ。」

「ある程度以上稼いでいる男の場合は、それが現実に起きていることですよ。逆に、稼いでいない男の場合は、夫が暴力ふるっても、浮気しまくっても、奥さんが子供つれて逃げて、弁護士と一緒に「何もいりませんから、どうか離婚してください」って頭下げに行くんですよ(笑)。だから、男の人は自分が稼いでいなかったら、女の人は結婚が大好きなんで、夢を叶えてあげるためにも、リスクはないし、むしろお金がもらえちゃうかもしれないので、どんどん結婚したほうがいいと思います(笑)。
 結婚したがるのは、結婚することでお金を受け取れる側の人だけです。」


この発言を見る限りでは、お金を受け取るために社会的に弱者な方がお金を受け取るために結婚する。ということになる。
確かに事実婚という選択肢でも問題ないような気がする。しかし、なんとなくなんだけど、この小説と本人のミスマッチ感が気になる。
結局愛を証明しようと思うというタイトルは何だったんだろうか。
そこの考察のために再度読むのも悪くないかもしれない。